
昔のTSUTAYAには、少し面倒くさい楽しさがありました。
DVDを借りるには店まで行かなければいけませんでしたし、借りたら返却日を気にしなければいけませんでした。返し忘れたら延滞料金がかかるので、返却日が近づくと、部屋のどこかに置いたDVDの存在が急に重たくなる。あの「そろそろ返さないとまずいな」という小さな焦りまで含めて、レンタル文化だった気がします。
ただ、その面倒くささの中には、今の配信サービスにはない時間がありました。
店に入ると、新作の棚があって、ランキングがあって、洋画、邦画、アニメ、ホラー、コメディ、ドラマと棚が続いていく。目当ての作品を借りに行ったはずなのに、気づけば全然知らない映画のジャケットを眺めている。友達や家族と行けば、「これ見た?」「これ絶対つまんなそう」「いや、逆に気になる」みたいな会話が自然に生まれる。
あれは、ただDVDやCDを借りていた時間ではなかったと思います。
作品を選ぶまでの遠回りを楽しんでいた。
TSUTAYAという店の面白さは、そこにあったのではないでしょうか。
「ネットに負けた」で終わらせると、TSUTAYAの面白さを見落とす
TSUTAYAの話をすると、どうしても「インターネットやサブスクの普及でレンタルが厳しくなった」という説明になりがちです。
もちろん、それは間違いではありません。今は映画もドラマも音楽も、スマホで探してその場で楽しめます。Netflix、Amazon Prime Video、YouTube、Spotifyなどが生活に入り込み、借りに行く必要も、返しに行く必要もなくなりました。便利さだけで比べれば、昔ながらのレンタル店が勝つのは難しいです。
ただ、それはあまりにもわかりやすい話です。
TSUTAYAの変化を本当に面白く見るなら、「レンタルがネットに負けた」というより、TSUTAYAが持っていた役割が、時代の中でいくつにも分解されていったと考えた方が近い気がします。
昔のTSUTAYAは、作品を置いている店であると同時に、作品を選ぶ場所でした。ランキング棚があり、スタッフのおすすめがあり、ジャケットがあり、店内を歩きながら世の中の流行をなんとなく感じ取ることができました。自分で作品を探しているようで、実は店の棚や並び方にかなり影響されていたわけです。
今は、その役割の多くがスマホの中に移っています。
映画や音楽を探す場所は配信サービスになり、評判を知る場所はSNSになり、次に見る作品はアルゴリズムがすすめるようになりました。自分の好みに近い作品がすぐに出てくるので、便利で、外しにくい。迷う時間もかなり短くなりました。
その一方で、目的のない寄り道は減ったようにも思います。
昔のTSUTAYAには、目当ての作品が貸し出し中だったから別の作品を借りる、好きなジャンルの隣にある知らない棚に流れていく、ジャケットだけで妙に気になってしまう、という偶然がありました。今なら不便と呼ばれそうなことの中に、作品との出会いが混ざっていたのです。
TSUTAYAは、もともと「レンタルだけの会社」ではなかった
TSUTAYAを展開してきたカルチュア・コンビニエンス・クラブ、いわゆるCCCの歴史を見ると、TSUTAYAを単なるレンタル店として見るのは少しもったいないことがわかります。
TSUTAYAの前身といえる店舗は、喫茶店と貸レコード店を組み合わせたような形から始まっています。その後、1983年に大阪府枚方市で「蔦屋書店 枚方店」が開業しました。名前は書店ですが、レコード、本、雑誌などを複合的に楽しめる場所としてスタートしています。
つまり、最初から「一つの商品だけを売る店」というより、音楽や本や時間の過ごし方を組み合わせる発想があったわけです。
その後のTSUTAYAも、レンタルだけに閉じていたわけではありません。インターネットを使ったTSUTAYA online、ネット宅配レンタルのTSUTAYA DISCAS、BOOK&CAFE、Tポイントなど、早い段階から店舗、ネット、会員データ、生活提案を組み合わせようとしていました。
「レンタル店がネットに気づくのが遅れた」というより、TSUTAYAはかなり早くから、レンタルだけではいられないことをわかっていた会社だと思います。
ただ、それでも苦しかった。
なぜなら、TSUTAYAが積み上げてきた強みは、街の中に店舗があり、そこに人が来て、棚を見て、会員証を出して、作品を借りるという生活習慣に深く結びついていたからです。
その習慣そのものがスマホの中へ移っていった時、TSUTAYAは単に新しいサービスを足すだけではなく、自分たちはそもそも何を提供していたのかを問い直さなければならなくなりました。
引用風に強調したい一文
TSUTAYAが失ったのは、DVDレンタルの売上だけではなく、人が作品と出会うまでの道のりを店舗が握っていた時代そのものだった。
TSUTAYAの役割はどう分解されたのか
TSUTAYAの変化を考えるうえで、「レンタルがサブスクに置き換わった」とだけ見ると、少し浅くなります。実際には、TSUTAYAが持っていた役割は、複数のサービスに分かれていきました。
| TSUTAYAが担っていた役割 | かつての体験 | 今、その役割を担うもの |
|---|---|---|
| 作品を探す | 棚を歩く、ランキングを見る、ジャケットで選ぶ | 配信サービス、検索、レコメンド |
| 評判を知る | 店内POP、ランキング、友人との会話 | SNS、レビューサイト、動画投稿 |
| 所有せず楽しむ | CD・DVD・漫画を借りる | サブスク、電子書籍、配信 |
| 会員接点を持つ | TSUTAYA会員証、レンタル履歴 | 各種アプリ、ID、決済サービス |
| 偶然に出会う | 棚の前で迷う、目的外の商品を見る | アルゴリズム、SNSの流れてくる情報 |
| 店に行く理由 | 借りる、返す、ついでに見る | カフェ、イベント、POP UP、ファン体験 |
こうして見ると、TSUTAYAが向き合った変化はかなり大きいです。
単に「DVDを貸す」という一点が置き換わったのではありません。作品を探す、選ぶ、評判を知る、借りる、返す、店内で寄り道する、会員として接点を持つ。その一連の体験が、時代の変化とともにバラバラに分かれていきました。
だからTSUTAYAの転換は、レンタル事業の縮小だけではなく、作品との出会い方をもう一度作り直す挑戦として見るべきだと思います。
蔦屋書店とT-SITEは、便利さではなく「わざわざ行く理由」を作った
TSUTAYAの転換を象徴する存在の一つが、代官山 蔦屋書店やT-SITEです。
代官山 蔦屋書店は、ただ本を買うための場所というより、「こういう暮らし方もありますよ」と提案される場所に近いと思います。本があり、雑誌があり、音楽があり、映画があり、カフェがあり、雑貨があり、イベントがある。空間全体に、ひとつの世界観が流れています。
レンタル時代のTSUTAYAが「作品を借りる場所」だったとすれば、蔦屋書店は「本や作品をきっかけに、自分の生活のイメージを広げる場所」になろうとしたのだと思います。
配信サービスは便利です。家から出なくても、見たい作品にたどり着けます。だからリアルの店舗が、同じ便利さで勝とうとしても厳しい。
そこで蔦屋書店やT-SITEは、便利さとは別の価値を作りにいったように見えます。
わざわざ行くこと。
そこで時間を過ごすこと。
知らなかった本や作品や雑貨に出会うこと。
カフェで過ごしながら、少しだけ自分の生活が良くなったような気分になること。
これは、レンタル店の延長というより、TSUTAYAが持っていた「文化を編集する力」を別の形に変えたものだと思います。
SHIBUYA TSUTAYAは、貸す場所から「集まる場所」へ変わった
2024年にリニューアルしたSHIBUYA TSUTAYAも、TSUTAYAの変化を考えるうえで象徴的です。
かつてのSHIBUYA TSUTAYAは、渋谷のど真ん中にあるレンタル文化の象徴のような場所でした。しかしリニューアル後はレンタルサービスを終了し、アニメ、漫画、キャラクター、VTuber、POP UP、カフェ、ラウンジ、イベント、配信スタジオなどを組み合わせた場所へ変わっています。
昔のTSUTAYAは、作品を家に持ち帰るための場所でした。
今のSHIBUYA TSUTAYAは、好きなものを持った人たちが集まる場所になろうとしているように見えます。
この変化は大きいです。
作品そのものは、もうスマホで届きます。映画も音楽も漫画も、昔よりずっと簡単に手に入ります。そうなると、リアル店舗が担う役割は「作品を置いておくこと」だけでは弱くなります。
作品を置くことより、その作品が好きな人が来たくなる理由を作ることの方が重要になっていく。
レンタルの時代、TSUTAYAは作品と人をつなぐ場所でした。
今は、作品が人のスマホに直接届く時代です。だからTSUTAYAは、今度は作品を好きな人同士が出会ったり、同じ空間を共有したり、ファンとしての熱量を持ち寄れる場所を作ろうとしているのだと思います。
レンタルを失ったTSUTAYAに残ったもの
レンタルを失ったTSUTAYAに何が残ったのか。
そう考えると、残ったのはDVDでもCDでもなく、作品と人の距離感を作ってきた経験なのだと思います。
棚の前で迷わせること。知らない作品に出会わせること。好きなものを探しに来た人に、もう少し広い世界を見せること。ランキングやPOPや棚づくりで、作品の見え方を変えること。街の中に、文化との接点を作ること。
時代が変わっても、その編集力にはまだ価値があります。
ただし、昔と同じ方法では通用しません。
昔は、作品そのものがディスクや本として店に並んでいたから、人は店に行きました。今は、作品そのものはスマホで届きます。だからリアルな場所に必要なのは、在庫量ではなく、体験や空間やコミュニティです。
TSUTAYAの転換は、「レンタル店が苦しくなった話」ではなく、作品がスマホで届く時代に、リアルな場所は何を提供できるのかという問いに向き合っている話なのだと思います。
この話は、どの業界にも関係がある
TSUTAYAの話は、エンタメ業界だけの話ではありません。
昔は店舗や会社が持っていた役割が、今はどんどんスマホの中へ移っています。情報を調べること、予約すること、比較すること、買うこと、相談すること。かなりの部分がオンラインで済むようになりました。
そうなると、リアルな店舗や会社は「商品があります」「サービスを提供しています」だけでは弱くなっていきます。
お客様がわざわざそこに行く理由、その人から買う理由、その会社に頼む理由、そこに時間を使う理由を作らなければ、便利なサービスに置き換えられてしまいます。
TSUTAYAは、レンタル文化の王者でした。
だからこそ、レンタルという文化が変わった時に、苦しさも大きかったはずです。強かった会社ほど、過去の成功が大きな資産にもなり、大きな重荷にもなる。TSUTAYAの場合、その成功体験は「街の中で作品との出会いを作ること」でした。
そして今、その出会いの場所がスマホに移った時代に、もう一度リアルの側で出会いを作ろうとしている。
そこに、TSUTAYAの現在地があるように思います。
まとめ
昔のTSUTAYAは、少し面倒くさい場所でした。
でも、その面倒くささの中には、作品を選ぶ楽しさがありました。棚を歩く時間があり、知らない作品に出会う偶然があり、返却日を気にする生活のリズムがありました。
今は、作品そのものはスマホで届きます。便利になりましたし、もう昔のレンタル文化にそのまま戻ることはないと思います。
だからこそ、TSUTAYAの変化は面白いのです。
レンタルを失ったTSUTAYAに残ったのは、作品と人の出会い方を編集してきた経験でした。その経験を、蔦屋書店、T-SITE、SHIBUYA TSUTAYAのような形で、空間や体験やコミュニティへ移し替えようとしている。
TSUTAYAの転換は、レンタルの敗北というより、リアル店舗がもう一度「行く理由」を作り直している話なのだと思います。
デザイン系の専門学校卒業後、WEB動画系会社、フリーランスを経て現職へ。株式会社ガイネット取締役。映像制作、SNSプロデュース、グラフィックデザイン、イラストを手掛ける。